2011年に起きた東日本大震災への義援金と応援メッセージを展示会
開催期間中に、来場者の方々へお願いしてまいりました。

同時に有志の参加作家様の皆様からも、作品売上などを義援金として
頂きました。

今年2013年11月28日に、被災地である岩手県大船渡市の綾里
(りょうり)
中学校へ、展示会主催者であります私、大城(おおぎ)吉弘が寄贈して
まいりました。

現地大船渡市は震災当初、津波で町の半分が全て流されて無くなって
しまうほどの被害を受けました。
そしてその隣町、陸前高田市は「奇跡の一本松」として知られるように
なった、町がほぼ全滅してしまった地域です。

私大城は数年間、岩手県大船渡市に住んでおりましたので、勝手ながら
皆様から頂いた義援金と応援メッセージを、大船渡市の綾里中学校へ
寄贈させて頂くことにいたしました。


今回は大船渡市と陸前高田市、そして気仙沼市を訪れてきました。
震災から2年が経ち、現地はすでにしっかりと立ち上がり、悲壮感
というものは、街中には感じられませんでした。
もちろん、まだまだ困難に立ち向かっている最中ではあると思いますが、
みなさんしっかり前に進もうとしているという印象が強かったです。

寄贈した義援金とメッセージが、どれほどに現地の皆様にお役にたてるか、
被災していない者には、全くわかりません。でも、海外の人々も被災地の
みなさんの乗り越えようとしている勇気ある姿と、頑張りをしっかりと
見ているし、応援しているということを知っていただいて、少しでも
元気になっていただけたらと、深く深く願っています。

以下に、今回、綾里中学校を訪問した際の写真と、私の見た被災地の姿
の写真を掲載しました。

ご協力いただいた皆様へのご報告も兼ねて、ご覧いただけたら幸いです。

《義援金》
*2011年の展示会で募った義援金は、日本赤十字社を通して被災地支援へ
 2011年時に募金いたしました。その詳細は別ページ
http://japan-artest.com/2011donation.html
 
をご覧ください。

*2012年に募りました義援金は、総額703ドル(5万6千円)
(NZ$1=79円)でした。
  2012年展示会震災支援ページ http://japan-artest.com/2012earthquakePhoto.html
*2013年は応援メッセージのみで、義援金は募りませんでした。
 
2013年展示会震災支援ページhttp://japan-artest.com/2013-ofunato-fukkou-message.html
《応援メッセージ》
*2011、2012、2013年の応援メッセージは全て、今回の綾里中学校へ寄贈
 してまいりました。

ここからは、町全体がほぼ全滅した一本松のある
《陸前高田市》(高田松原)
向かって
左サイド:副校長先生 右サイド校長先生
僕の右側:学生以来いつもお世話になって
いる地元の寺沢さん。今回も学校との橋渡し
をしていただきました。
  2011〜2013年ニュージーランド展示会
東日本大震災被災地への義援金と応援メッセージ
        結果ご報告
岩手 東海新報 11月29日新聞
高田市を襲った近郊の海。何事もなかったよう
に美しい海でした。
綾里中学校の校庭には、仮設住宅がまだ
たくさんありました。生徒はグラウンドで
運動する場所がなく、かわいそうでした。
《大船渡から出発》 多くの家々が連なっていた幹線道路の両側は、フラットな平野になっていました。 大きなダメージを受けた爪痕
Back to 2013  index もくじ
綾里中学校 吉田校長先生へ
義援金と応援メッセージ寄贈
すみません、順番が間違えています。ここは
大船渡の仮設商店街です。
津波で引きちぎられた歩道橋
震災でダメージを受けた5階建てビル
4階までは全滅です。記念碑になる予定です
現在、大変有名になった「奇跡の一本松」 でも実際に見る一本松は、震災前は7万本あった松達が今は1本だけになって、
なんだかとてもさみしそうでした。
本当に何もなくなってしまった場所に、本当にたくさんの重機の大きな音が空に向かって
鳴り響いていました。
復興の勢いを感じさせる、幹線道路を勢いよく行きかう多くのトラックや商業車
ここからは、《大船渡 →陸前高田(一本松など)→気仙沼》  と順に僕が訪れた地を写真順に追ってゆきます。 
今までたくさんの家々があった場所が、津波で何もなくなっていました。しかし多くの瓦礫は姿を消し、悲壮感よりも、
復興の活気が勝っていました。何も無くなった地域でありながら幹線道路には、トラックや商業者がひっきりなしに、
行き交っていました。
《応援メッセージの数々 2011〜2013年ニュージーランド展示会 来場者の皆様から》
震災から2年かけて、乗り越えてきた地元の人々の力
震災から2年後の被災地の風景            各所になる仮設住宅と仮設商店街         現在のJR大船渡駅は線路の代わりに
                                                              路線バス専用道路となって、復活しています
気仙沼市(宮城県) も震災の被災地です。大型
漁船が町の中心に打ち上げられ、この写真の
碑はそのモニュメントです。
気仙沼市も沿岸地域は多くが流されて
しまいました。
この写真の奥から津波が押し寄せてきたそうです。
そして町は無くなりました。
   
湾の中でも新しい堤防を建設中でした。
路線バスとなって復帰した三陸リアス線、JR大船渡駅の風景                    大津波を発生した大船渡湾は、今はとても
                                                           静かで綺麗でした。奥では防波堤を建設中
Back to 2013  index もくじ
グラウンドに設置された多くの仮設
住宅です。ここから学校に通う生徒も
いるようです。